私はフルートとピアノを趣味で演奏します。
人前で、ミニコンサートと称して演奏をしたこともあります。
音が素敵と褒められたこともあります。
ただ、どこか物足りなさがありました。
何が物足りないか考えました。
音は褒められます。
演奏技術はまだまだだと感じていますが、それとは異なる感覚がありました。
音が出ていればいいというなら、機械でもできます。
機械のほうが正確でしょうね。
正確であればそれでいいのか考えました。
私には好きな演奏家がいます。
ミスはあります。
それでも惹きつけられるのです。
ミスがあるのに惹きつけられる演奏とはなんなのでしょうか。
ミスがあるのに惹きつけられる演奏がなんなのか考えました。
使うのがたとえ指先や口であっても、全身から奏でられる音。
全身を使った演奏。
だんだんと見えてきました。
ここで私は、音楽教室で楽器を習うか悩みました。
プロから習えば、色々と良い点もあると思いました。
しかし、どこかしんどいと感じるのです。
それはどういうことなのか。
また考えます。
私の中の記憶をたどります。
道端でひっそりと咲く、淡いピンク色のコスモス。
畑の向こうの、何百メートル続いているか分からないくらい広い田んぼ。
緑の木々。
普段は忙しさで忘れていたけれど、私は自然に癒されてきたことを思い出しました。
ある人は言いました。
「あなたは幸せになって良いのよ」。
私はそう言っていただけて、とても嬉しかったです。
私はある時、情熱大陸(葉加瀬太郎)がうまく吹けずに終わりました。
「音は出るけれど、全然葉加瀬さんみたいな演奏じゃない」。
葉加瀬さんの演奏はとても楽しそうで、ダンスが致命的に苦手な私ですら踊り出しそうなくらいでした。
何かが私を縛っているのだろうと思いました。
ああしなければならない、こうでなければならない。
「楽しまなければならない」と思ってやる趣味は楽しくないです。
多少失敗しようが、演奏者が楽しそうなら見ている側も楽しくなります。
私自身が楽しまないでどうするんだ?
誰かに指示されているわけでもないのだから、好きにすればいいじゃないか?
まず、私が楽しもう。
私は、楽しんで良いんだ。
「私は、楽しんで良いんだ」と少し思えるようになってから、なにかが変わり始めました。
練習したせいもあるけれど、私はいつもよりも冷静に自分の音を聴いていました。
とあるフレーズで、指がうまくまわるようになりました。
つまり上達しました。
練習しただけでは説明がつかないことが起こりました。
なにかが変わり始めました。
「私は、楽しんで良い」のです。
誰もダメなんて言っていないのに、ダメだと思い込んで自分を縛り付けていました。
「今まで何やっていたんだ」じゃない、「今気付けてラッキー」です。
「私は、楽しんで良い」、そして「あなたも、楽しんで良い」。
悲しみやつらさに蓋をせず、ありのまま感じて良いと私は思います。
「これからは自分の音で演奏するということ」は、「楽しむということ」だと思いました。
最初のほうを試聴しただけでも、楽しい雰囲気が伝わってきますよね。